つづき。
記念館内にある特攻隊員たちの手紙や遺品は膨大にある
とても2,3時間ほどでは見切れるものではないです
わたしがショックだったのは全国から優秀な若い男性(17歳になったばかりの方から年上でも30歳ほど 多くて22-26歳くらい)が集められていたこと 知覧から飛び立った方々だけでも1000人を超える
一番多く旅立たれたのは東京出身の隊員さん
戦時下に集められた ある意味、極限の場所で 精神状態はハイになっているとしても
故郷から旅立って鹿児島の駅についてから それから基地に着いてからも
どうしようもなく心細かっただろうな……と、しみじみ思う
余談になるが21日に鹿児島中央駅についてからバスロータリーのところにある交番に行った
若いお巡りさんが、すぐにこちらに身を乗り出してくださった
「あのう、高見馬場というところに行きたいんですけど」
「はじめて鹿児島に来たんです」と言ったところ
一所懸命に説明してくださった
なにか書類を書いていた民間の女性(とても品のある女性だった 買い物帰り? のような風体だった)が
「時間があれば連れて行ってあげるんだけど、ごめんなさいね」
とも、声をかけてくださった
お巡りさんやカウンターにいらした女性の言葉の響き(言葉の訛りも含めて)が、とてもやさしくて
なぜか涙が出そうになった
そのときの ありがたかった感情が何度も何度もよみがえってきた だからこそ
特攻隊員さんたちの心細さが他人事とは思えなかった
館内で講話もあった
それはまた、つづきで書きたい
……