うらち・ゆるゆる温泉別館

【ご注意ください】本編は「ともだち」以下です!

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5/28の振り返り ☆ 奈良京都2泊3日 最終日 ☆

 

 

 

ろうそくタワーだよー!

 

この場所から撮ってた人がいたから便乗しちゃいましたw

 

 

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関西圏の人は12時にチェックアウトできるホテルのプランだったんですけど

 

朝風呂と朝ごはんなど堪能しましたので 

 

11時ころに出てきて、バス乗り場に向かう途中で撮影しました

 

そして目と鼻の距離の京都市バス停留所に向かいます

 

んで

 

目指す場所最寄りのバス停を降りて

 

テクテク歩いて行くとだな

 

え❗️

 

って、声が出た

 

 

 

新撰組、山南さんが切腹された前川邸。

 

いつから一部でも公開するようになったの⁉️

 

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しかも小洒落た旗まで……(汗) と足を踏み入れると

 

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邸内の図面や、カラーイラストのマップや

 

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こんなグッズ展開まで❗️

 

クリアファイルを衝動買いしますた

 

(ダメじゃんw)

 

土日祝日のみ公開みたいですが

 

新撰組ファンならヨダレがぶ飲みだよね💕

 

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拡大したら見えるけど  ↑

 

山南さんが遊女と別れを惜しんだ出窓は現存しないとのこと

 

昭和3年に撮影された写真のようです

 

前川邸を後にすると

 

すぐに見えてくるよ!

 

 

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八木さんお部屋の中に入るためには 

 

隣接する こちらの和菓子屋さんで拝観料を支払います

 

 

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こんな紙をもらいます


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和菓子とお抹茶も戴けます

 

 

「12時に開始しますねー」 と 和菓子屋さんから お声かけいただきます

 

和菓子屋さんを出ると 八木邸入口は眼前です

 

 

 


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和菓子屋さん店内に貼ってあるのだ ふるぼけていても味がある

 


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さて京都市文化財ガイドさまのお話が開始されるのでした

 

(後述いたします)

 

 

 

終了後……

 

こちら新徳寺

 


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いよいよ壬生寺

 

 

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境内に、こんな建物がございます

 

壬生塚

 

こちらの中にも新撰組の資料があるんですよ

 

なんてったって詰所・八木邸の近く、という強みが凄いよね

 

こちらでドリップコーヒーをおみやげと自分用に買いました

 

そんでもって 新撰組の皆さんのお墓詣りをしたいと思い

 

売店の品のいいおばあちゃまたちに入場料を払います

 

実はこの建物地下にも資料があるんですが

 

まずこの画像 「阿弥陀堂」看板の奥に緑の樹が見えるでしょ

 

そう、そこに行くと志士たちのお墓があるのです

 

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ちいさい墓石は 新しいものでして

 

芹沢さんと 平山さんの墓石です


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たしか、このあたりにも ↑ 近藤さんの上半身銅像もあったと思う


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ごすいん!



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下の御朱印新撰組のものです


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以下ガイドさんのお話には附番する

 

 胡乱ながらメモを思い出しつつ記入していきます

 

芹沢鴨、平山五郎、平間重助それぞれの愛人とともに衝立でそれぞれを区切り寝ていた深夜、土砂降りの雨の中。あちら側の庭から土方たちが斬りこんできた

 

(庭から見て衝立、芹沢、愛人、衝立、平山 以下略 一番外に近かったのが平間と愛人カップル)

 

②衝立を倒し上から剣を突き立てた。その折、平山の首と体は離れていたといいます あちらの床の間にも壁にも かなり長い間 血痕が残っていたんですけどね  あっ勿論、畳は血の海ですよね 血の海 でも安心してくださいね今あたらしいものに取り換えてますからねw

 

(なんか『会長が就任したときは、まだ床の間に血痕』って言ってた 会長って何の会長だろう? 文化財の説明ガイド団体だろうか 正式名称わからんけど)

 

 

 

 

③試衛館にいた近藤他が京都に行くことを決めたのは彼らが20代、10代の時だった。

それから鳥羽伏見の戦いまでの期間は、彼らの青春であったといってもいい。

農民出身の彼らはどうしても武士になりたかった。

武士となり「武士はこうあるべき」「武士は、こうでありたい」という

 

④理想を具現化し全うすること 全うすることに青春のすべてを賭けた

 

近藤勇は「誠」という字が好きだったのは

 

言葉を成す、言葉が成る、という意味があったからだと言われていますね

 

どうしてもサムライになりたかった試衛館出身の農民の彼らは

 

芹沢鴨グループ・元々の出自が武家だった水戸藩の人たちとは違ってて

 

本当に極端に融通が利かないくらいに 自分たちの作ったルールを守ることで

 

理想のサムライになりたかったのだろうと

 

そこに「すべて」を賭けたんだろうなって

 

もうねえ、ガイドさんのお話きいてて半泣き状態になってたよ私

 

余談になりますが

 

はじめてわたしが八木邸を訪れたときのガイドさんの話。

 

ここで暗殺されそこねた平間重助の孫の孫? にあたるご婦人が

 

ガイドさんの話を聴いてて

 

「あのう、わたし平間の子孫ですー」と挙手したことがあったって

 

芹沢さんら襲撃の夜から命からがら東京に逃げて行って 

 

なんとか生活できていたらしいですね

 

 

……ここで自分の無知を曝け出しますが

 

ペリー来航から開国に反対していく人が増えていった? 理由が

 

どうしても分からなかった

 

ガイドさんのお話で目から鱗が落ちました

 

毛唐の皆さんは日本の生糸があまりにも上質なものだから

 

ガンガン根こそぎ持って行ったらしいんですなw

 

それで西陣織などの業界は大打撃

 

それでなんだかんだあり 清河八郎が呼び掛けて新撰組が誕生するわけ

 

(だいぶ はしょったw)

 

……前日に、大変な徒労を味わいつつも霊山歴史記念館に行っててよかったと

 

つくづく思いました!

 

わたしが知っている乏しい知識の幕末って

 

人間関係も複雑に絡み合ったりしているけれども

 

やっぱり、知れば知るほどおもしろい

 

 

 

 

……時間があれば坂本龍馬が襲撃された伏見の寺田屋も。。。って

 

(ヾノ・∀・`)ムリムリ!

 

むーりー!

 

 

2022/06/06(月)08:49 追記 

 

上手に言語化できんけどさぁ

 

幕末って 新撰組 が 一番損をする役割を背負わされた そんな気がするんだよね

 

霊山歴史記念館を見学してから ずっとそんな気がしていた

 

特に徳川方と ちょっとだけ天皇方に、双方を取り巻く時代の空気に

 

都合のいいような雑な扱いを受け続けることに甘んじるようにさせられて 

 

近藤さんも土方さんも非業の死を遂げてしまうって…… 

 

ないわー (´・ω・`) 

 

なんて思っちゃうわけです 

 

それもこれも近藤の「武士よりも武士でありたい」こころざしが 彼らの足元を見られてしまって 結局 幕府側は誰も損してないじゃん 

 

新撰組は玩具や奴隷の扱いか! なんて 母ちゃん目線になってしまったのでしたw